西周夫人升子の日記 川嶋保良

西周というと幕末期から明治の人でいくつかの西洋の概念を翻訳したことでしか知らなかった。

例としては、芸術、理性、科学、技術などである。
明治期にそういった今までになかった概念を日本語に翻訳できたから日本が発展できたというのはよく言われることである。
日本では、その後学問をするときには、日本語だけでできるようになった。
当たり前のことのように思えるが、他のアジアやアフリカの国では西洋語でしか学問はできないという。
だから日本人の英語ができないのはむしろ誇るべきではないか、ということを耳にしたこともある。
実は、わたしも同感である。
といって、英語の勉強をしなくていいということではないが。

 

西周については、そんな程度の知識しかなかった。
今回の本を読んだのは、実をいうとそんな西周に興味があったからではなくて、当時の家庭の主婦の日常に興味があったからである。
武士階級だから、かなり恵まれた家族ではあっただろうが、日々どんなものを食べ、どんなふうに暮らしていたか、どんなことに悩んでいたかを知りたかったのである。

 

実際読んでみると夫人の升子は、周といっしょに過ごしていた期間はあまりない。
周が留学していたり、京に単身で赴任していたりしたからだ。
だが、夫がいるときは、実に多くの客人を招いている。
夫の客好きということもあるだろうし、当時は、客を招くことでいろいろ情報を得ていたのかもしれない。
テレビも新聞もない時代である。

電話もない時代だから、突然、夫の知人が来て、そんなときは、夫人である升子は、あわてたのではないかと想像する。
現代の主婦には、想像できないし、我慢できない世界である。

 

それに夫が京で愛人との間に作った子供のことも書かれている。
当時は、それが普通だったのだから、妻としては、受け入れなければならないのだろうが、その心中は穏やかでないことは察することはできる。

 

無論、当時の有名事件のことも書かれている。
大老井伊直弼暗殺とか、幕府の崩壊とかである。
周は、幕府に勤めるようになっていたから、政治状況の変化は、一般庶民以上に影響が大きかったはずだ。

 

だがそんな中、周は、時代が求めていたということもあって、明治政府にも仕官することになる。

歴史というと有名人の物語になるが、どんな時代でも無名の人の生活はあったはずである。
有名人の妻ではあるが、歴史には、名前が出てこない女性の日記を読むことにより歴史への興味がわく。
当時の識字率が高く、文章を書ける女性がいて、日記を残したことに感謝しなくてはいけないだろう。