小栗上野介忠順と幕末維新 「小栗日記」を読む 高橋敏
小栗上野介といえば幕末時において、幕府の主戦派として、有名である。
勝海舟などの恭順派からは嫌われていたが、横須賀造船所創設を決意したり、幕府を最後まで支えようという姿は評価されている。
彼の成し遂げたものが維新後に明治政府の発展に役立ったものも多い。
今回、小栗日記が発見されたということでそれを元に小栗上野介に新しい光を当てようというものである。
この本を読むと能吏であったことは間違いない。
何度も罷免されながらまた復活している。
はっきりと物事を言うから嫌われてしまうが、仕事が出来るからまた声が掛かるといった具合のようである。
だが、上司である最後の将軍慶喜とは、相性がわるかったようで、最後は捨てられるように罷免されてしまう。
そのあとは、知行地へ帰るという選択をして、結局は、そこで新政府軍の命で殺害されてしまうが、いかに幕末の混乱期とは言え、残念である。
歴史にIFというのは、ルール違反かもしれないが、もし江戸に残っていれば、斬首ということはなかったのではないか。
そうすれば、勝海舟や榎本武揚のように新政府で活躍することは、なかったが、在野にあって、言論人として新政府批判をしたのではないかと思われる。
たとえば、福地源一郎や福沢諭吉のように。
あるいは、民間人として実業の分野でも活躍できたのではないか。
薩長側にも幕府側にも有能な人材はいた。
だが、小栗上野介の人生を見ていると歴史の流れは、そんな個人の力ではどうしようもなかったという気がしてしょうがない。